パンダの飼育施設の向かいに、やや人けの少ない建物

ベルリンにパンダがやってくるのは、初めてではない。
1980年にも2頭のパンダが中国から贈られた。
中国が西側との国交正常化を進め、パンダ外交に力を入れていた時期だ。
上野動物園には一足早くカンカンとランランが登場していた。
ベルリン動物園の歴史を描いたヤン・モーンハウプト氏の著書向こう側の動物園によると、中国の華国鋒首相が西ドイツの首都ボンを訪れると知った当時の園長がシュミット首相の妻に手紙を書き、贈り物として花瓶や絹の敷物ではなく、パンダを受け取るように アドバイスしたという。
ベルリンは当時、東西に分かれており、それぞれにひとつずつあった動物園が2つのシステムの地位の象徴だった。
どちらが象を多く保有しているかなど、軍拡競争ならぬ動物の獲得競争が繰り広げられ、パンダの獲得がハイライトになった。
冷戦時代には、西側諸国からの贈り物もあった。
ベルリンの壁ができたばかりの62年、米国のロバート・ケネディ司法長官が米国の国章にもあしらわれるハクトウワシを携え、西ベルリンの動物園を訪れた。
兄のケネディ米大統領が私はベルリン市民とドイツ語で呼びかけ、市民を勇気づけた前の年のことだ。
日本も80年代に中曽根康弘首相が西ベルリンを訪問し、2頭のニホンカモシカを贈っている。
動物園側の記録によると、 贈られたのはノリとユウ。
2頭ともすでにこの世にはなく、子孫も残されていないという。
パンダの飼育施設の向かいに、やや人けの少ない建物がある。
展示されているのは動物ではなく、動物園の歴史。

世界各地の原住民を集めて展示した人間動物園や、協力して監査役会からユダヤ人を追放した過去などが赤裸々に紹介されている。